再訪 - 鉢形城跡(埼玉) 【史跡】
「鉢形城跡」(史跡,埼玉県大里郡寄居町)も近年整備をしたところ.改めての訪問です.

【鉢形城跡】(HDR合成,撮影:2023年3月12日)
写真は三の曲輪の復元四脚門とその周辺.三の曲輪では三段の石積土塁などが復元されています.苑池遺構もあって,これも復元したとのことだけど,遺構がわかるような表示がされているぐらいかと.
よく整備されていて散策の楽しいお城です.

【鉢形城跡】(HDR合成,撮影:2023年3月12日)
写真は三の曲輪の復元四脚門とその周辺.三の曲輪では三段の石積土塁などが復元されています.苑池遺構もあって,これも復元したとのことだけど,遺構がわかるような表示がされているぐらいかと.
よく整備されていて散策の楽しいお城です.
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行
再訪 - 桑折西山城跡(福島) 【史跡】
福島県桑折町にある国指定史跡の「桑折西山城跡」.10年以上前に行ったきりだったけど,史跡整備をしたということで改めて訪問.

【桑折西山城跡】(HDR合成,撮影:2023年5月21日)
写真は西館虎口.桝形が二重の桝形状虎口です.

【桑折西山城跡】(HDR合成,撮影:2023年5月21日)
写真は西館虎口.桝形が二重の桝形状虎口です.
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再訪 - 多賀城跡 附 寺跡(宮城) 【特別史跡】
大学時代は仙台に住んでいたので,ちょくちょく行っていた特別史跡の「多賀城跡 附 寺跡」(宮城県多賀城市).しばらく行っていなかったけど,いろいろ整備されてきているということで改めて訪問.

【多賀城跡】(HDR合成,撮影:2023年5月20日)
写真は復元された外郭南門とその周辺.左側に見える小さな建物は重要文化財の「多賀城碑」の覆屋です.南門は丘の上にあって,ここから東西に築地塀が続いていました.門の復元は完成していますが,ここに接続する築地塀も少し復元するようです.その西側に続く築地塀跡は写真にも見える生垣での表示.丘の向こう側の築地塀跡の表示もされています.門のすぐ東側にこんもりとしたところがありますが,築地塀の遺構なんでしょうね.門ができるまでは特に意識することもなかったけど,門ができることで,周辺の遺構も含めて面的に実感できるようになったのがとてもいいです.他にも門の北側に続く政庁南大路や城前地区の建物跡表示など,整備が進んでいます.

【多賀城跡】(HDR合成,撮影:2023年5月20日)
写真は復元された外郭南門とその周辺.左側に見える小さな建物は重要文化財の「多賀城碑」の覆屋です.南門は丘の上にあって,ここから東西に築地塀が続いていました.門の復元は完成していますが,ここに接続する築地塀も少し復元するようです.その西側に続く築地塀跡は写真にも見える生垣での表示.丘の向こう側の築地塀跡の表示もされています.門のすぐ東側にこんもりとしたところがありますが,築地塀の遺構なんでしょうね.門ができるまでは特に意識することもなかったけど,門ができることで,周辺の遺構も含めて面的に実感できるようになったのがとてもいいです.他にも門の北側に続く政庁南大路や城前地区の建物跡表示など,整備が進んでいます.
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再訪 - 南木曽町妻籠宿(長野) 【重伝建】
重伝建の「南木曽町妻籠宿」(長野県木曽郡南木曾町)といえば,重伝建の制度ができてから最初に選定されたところの一つで,それだけに見事な町並みが残されています.選定範囲がやたら広いのも特徴的で,周囲の山林や古街道,小規模な集落なども含まれています.大妻籠地区も重伝建に含まれた集落だけど,まだ行ったことがなかったので,大妻籠の撮影を目的に妻籠を再訪しました.

【南木曽町妻籠宿 - 大妻籠】(HDR合成,撮影:2023年6月24日)
妻籠の宿場から中山道を馬籠に少し行ったところにあるのが大妻籠.妻籠よりずっと規模は小さい集落だけど,なんで「大」妻籠っていうのかよくわかんないです.ここの建物は宿として使われています.
この少し上の上平という地区にある「藤原家住宅」は県指定の文化財(長野県の制度では県宝).17世紀中~後期の民家で,長野県の民家の中では最古クラスです.これも撮りたかったのだけど,だいぶ傷んでいるようで,青いシートが屋根にかけられていました.

【南木曽町妻籠宿 - 大妻籠】(HDR合成,撮影:2023年6月24日)
妻籠の宿場から中山道を馬籠に少し行ったところにあるのが大妻籠.妻籠よりずっと規模は小さい集落だけど,なんで「大」妻籠っていうのかよくわかんないです.ここの建物は宿として使われています.
この少し上の上平という地区にある「藤原家住宅」は県指定の文化財(長野県の制度では県宝).17世紀中~後期の民家で,長野県の民家の中では最古クラスです.これも撮りたかったのだけど,だいぶ傷んでいるようで,青いシートが屋根にかけられていました.
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再訪 - 塩尻市奈良井(長野) 【重伝建】
何度か行っている重伝建の「塩尻市奈良井」(参照:塩尻市奈良井 #1,塩尻市奈良井 #2).「旧中村家住宅」が新しく重文になったということで,改めての訪問でした.

【塩尻市奈良井 #1 - 原家住宅】(HDR合成,撮影:2023年6月24日)
町を歩いていて見つけた市指定の文化財.県指定ぐらいは一応調べておいたりもするのだけど,広く旅するときに市指定クラスまではあまり調べられていません(登録文化財が見つけやすいのは国のデータベースにのっかっているから).徳利屋の屋号を抱えているけど,旅籠の建築です.天保年間の築で,文化財指定は主屋と土蔵.

【塩尻市奈良井 #2】(HDR合成,撮影:2023年6月24日)
このブログでも何度か話題にしている本棟造という民家の建築様式.長野県内でも分布は偏っていて,木曽路の方では見ないなぁと思っていたら,それっぽいものがありました.これは浄龍寺というお寺の建物で,建物の多いお寺でもないので,お堂と庫裏を兼ねた使い方をしているのだと思います.
本棟造の分布に関してざっくり調べてみると,『本棟造民家の分布と信濃小笠原氏支配地域の関連について』(2006,中尾七重,J. Archit. Plann. Res.)という文献があって,松本平,下伊那地方は多く木曽地方は稀とのこと.木曽地方にあるのは外観は類似しているけど通り土間がない点で異なっている木曽型本棟造系民家で本棟造に分類しないとか.この論文によると,信濃守護職の信濃小笠原氏の支配地域と本棟造の分布が一致しるということで小笠原氏の在地支配との関連性があり,木曽地域は小笠原氏と同盟関係の木曽氏の影響で,木曽型本棟造系民家が分布するということらしい.
素人の意見だけど,この説だと,小笠原氏がいた16世紀半ばに本棟造の様式がかなりのところ定まっていないといけないけど,早すぎる気がします.17世紀半ばの「曾根原家住宅」(重文,長野県安曇野市)が本棟造の様式が定まっていない頃の本棟造の原型ということと整合性がないですね.一応論文の中で説明があるけど,どうにもこじつけ感があります.
写真の浄龍寺の建物ですが,平面が本棟造の要件として重視されるのであれば,お寺の建物ということで民家と同様の平面とは思えないし,本棟造に分類すべきではないのかもしれません.

【塩尻市奈良井 #1 - 原家住宅】(HDR合成,撮影:2023年6月24日)
町を歩いていて見つけた市指定の文化財.県指定ぐらいは一応調べておいたりもするのだけど,広く旅するときに市指定クラスまではあまり調べられていません(登録文化財が見つけやすいのは国のデータベースにのっかっているから).徳利屋の屋号を抱えているけど,旅籠の建築です.天保年間の築で,文化財指定は主屋と土蔵.

【塩尻市奈良井 #2】(HDR合成,撮影:2023年6月24日)
このブログでも何度か話題にしている本棟造という民家の建築様式.長野県内でも分布は偏っていて,木曽路の方では見ないなぁと思っていたら,それっぽいものがありました.これは浄龍寺というお寺の建物で,建物の多いお寺でもないので,お堂と庫裏を兼ねた使い方をしているのだと思います.
本棟造の分布に関してざっくり調べてみると,『本棟造民家の分布と信濃小笠原氏支配地域の関連について』(2006,中尾七重,J. Archit. Plann. Res.)という文献があって,松本平,下伊那地方は多く木曽地方は稀とのこと.木曽地方にあるのは外観は類似しているけど通り土間がない点で異なっている木曽型本棟造系民家で本棟造に分類しないとか.この論文によると,信濃守護職の信濃小笠原氏の支配地域と本棟造の分布が一致しるということで小笠原氏の在地支配との関連性があり,木曽地域は小笠原氏と同盟関係の木曽氏の影響で,木曽型本棟造系民家が分布するということらしい.
素人の意見だけど,この説だと,小笠原氏がいた16世紀半ばに本棟造の様式がかなりのところ定まっていないといけないけど,早すぎる気がします.17世紀半ばの「曾根原家住宅」(重文,長野県安曇野市)が本棟造の様式が定まっていない頃の本棟造の原型ということと整合性がないですね.一応論文の中で説明があるけど,どうにもこじつけ感があります.
写真の浄龍寺の建物ですが,平面が本棟造の要件として重視されるのであれば,お寺の建物ということで民家と同様の平面とは思えないし,本棟造に分類すべきではないのかもしれません.
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