旧下野煉化製造会社煉瓦窯(栃木) 【重文】
栃木県野木町にある近代建造物.煉瓦を焼いた窯です.

【旧下野煉化製造会社煉瓦窯】(HDR合成,撮影:2023年1月22日)
明治23 (1890)年築造のホフマン式輪窯.平面は十六角形になっています.環状トンネル型の窯で,16の区画で,窯詰め,予熱,焼成,冷却,窯出しの工程を移動しながら断続的に煉瓦を焼くものです.立地は,煉瓦の材料の粘土や川砂の入手が容易で,渡良瀬川の水運も利用できる場所でした.
会社の設立は明治21 (1888)年の10月で,会社名は変遷がありますが,昭和46年まで煉瓦製造をやってました.関東大震災では煙突が折れて落下していますが,それも修理され操業が続いていました.
名称:旧下野煉化製造会社煉瓦窯(しもつけれんがせいぞうかいしゃれんががま)
文化財区分:重要文化財(近代/産業・交通・土木)
所在地:栃木県下都賀郡野木町大字野木字大手箱

【旧下野煉化製造会社煉瓦窯】(HDR合成,撮影:2023年1月22日)
明治23 (1890)年築造のホフマン式輪窯.平面は十六角形になっています.環状トンネル型の窯で,16の区画で,窯詰め,予熱,焼成,冷却,窯出しの工程を移動しながら断続的に煉瓦を焼くものです.立地は,煉瓦の材料の粘土や川砂の入手が容易で,渡良瀬川の水運も利用できる場所でした.
会社の設立は明治21 (1888)年の10月で,会社名は変遷がありますが,昭和46年まで煉瓦製造をやってました.関東大震災では煙突が折れて落下していますが,それも修理され操業が続いていました.
名称:旧下野煉化製造会社煉瓦窯(しもつけれんがせいぞうかいしゃれんががま)
文化財区分:重要文化財(近代/産業・交通・土木)
所在地:栃木県下都賀郡野木町大字野木字大手箱
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ジャンル : 旅行
齋藤氏庭園(宮城) 【名勝】
宮城県石巻市にある近代の庭園です.

【齋藤氏庭園】(HDR合成,撮影:2023年5月21日)
旧河南町の前谷地地区にある齋藤氏の住宅の庭園.齋藤氏は東北地方有数の大地主で,享保年間から酒造業をやっていて,後に金穀貸付業を営んだ資産家.屋敷地は江戸時代からのもので,現存する建物も多くは慶応元 (1865)年の家相図にすでに載っています.庭園は明治後期におおよその基礎ができています.「広間建物」が景観上の中心となっていて,平庭・園池を周囲に配し,丘陵斜面を景観に取り入れる構成.丘陵の麓に岩窟があり,ここからの湧水が園池の水源になっています.丘陵地の一部もあわせての名勝指定.
名称:齋藤氏庭園(さいとうしていえん)
文化財区分:名勝
所在地:宮城県石巻市

【齋藤氏庭園】(HDR合成,撮影:2023年5月21日)
旧河南町の前谷地地区にある齋藤氏の住宅の庭園.齋藤氏は東北地方有数の大地主で,享保年間から酒造業をやっていて,後に金穀貸付業を営んだ資産家.屋敷地は江戸時代からのもので,現存する建物も多くは慶応元 (1865)年の家相図にすでに載っています.庭園は明治後期におおよその基礎ができています.「広間建物」が景観上の中心となっていて,平庭・園池を周囲に配し,丘陵斜面を景観に取り入れる構成.丘陵の麓に岩窟があり,ここからの湧水が園池の水源になっています.丘陵地の一部もあわせての名勝指定.
名称:齋藤氏庭園(さいとうしていえん)
文化財区分:名勝
所在地:宮城県石巻市
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石井閘門(宮城) 【重文】
宮城県石巻市の近代土木の文化財です.

【石井閘門】(HDR合成,撮影:2023年5月20日)
明治初期に鳴瀬川河口に野蒜築港という国際貿易港の建設が構想されていました.明治17 (1884)年の台風で被災してそのまま放置されたので,野蒜築港の遺構はあまり残っていないのだけど,野蒜築港に関連して北上運河が開削されてその代表的遺構に石井閘門があります.石井閘門は旧北上川から分岐する北上運河の起点にある閘門で,明治13 (1880)年の竣工.西洋式閘門として古いもので,近代閘門の規範となっています.煉瓦造の閘頭部と閘尾部,石積の閘室からなっていて,全体の長さは約50 m,幅約8 m.
名称:石井閘門(いしいこうもん)
文化財区分:重要文化財(近代/産業・交通・土木)
所在地:宮城県石巻市水押三丁目

【石井閘門】(HDR合成,撮影:2023年5月20日)
明治初期に鳴瀬川河口に野蒜築港という国際貿易港の建設が構想されていました.明治17 (1884)年の台風で被災してそのまま放置されたので,野蒜築港の遺構はあまり残っていないのだけど,野蒜築港に関連して北上運河が開削されてその代表的遺構に石井閘門があります.石井閘門は旧北上川から分岐する北上運河の起点にある閘門で,明治13 (1880)年の竣工.西洋式閘門として古いもので,近代閘門の規範となっています.煉瓦造の閘頭部と閘尾部,石積の閘室からなっていて,全体の長さは約50 m,幅約8 m.
名称:石井閘門(いしいこうもん)
文化財区分:重要文化財(近代/産業・交通・土木)
所在地:宮城県石巻市水押三丁目
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殿ヶ谷戸庭園(東京) 【名勝】
東京都国分寺市にある近代の庭園です.

【殿ヶ谷戸庭園(随冝園)】(HDR合成,撮影:2023年5月4日)
もともとは江口定條という人の別荘でした.三菱合資会社の社員で,南満州鉄道副総裁にもなった人.昭和4 (1929)年に三菱合資会社取締役の岩崎彦彌太が買い取って,昭和9 (1934)年に主屋を建て替え,あわせて庭園の改修を行い,現在の庭園となりました.国分寺崖線という武蔵野段丘の段丘崖を利用した庭園で,写真のように高所から池を見下ろす景観が特徴的です.段丘崖の縁辺なので湧水があって,これも庭園の池に利用されています.
「旧朝倉家住宅」(重文,東京都渋谷区,参照:東京近代建築散歩 #12)の庭園も崖線を利用しているけど,当時の流行なのかも.
名称:殿ヶ谷戸庭園(随冝園)(とのがやとていえん(ずいぎえん))
文化財区分:名勝
所在地:東京都国分寺市

【殿ヶ谷戸庭園(随冝園)】(HDR合成,撮影:2023年5月4日)
もともとは江口定條という人の別荘でした.三菱合資会社の社員で,南満州鉄道副総裁にもなった人.昭和4 (1929)年に三菱合資会社取締役の岩崎彦彌太が買い取って,昭和9 (1934)年に主屋を建て替え,あわせて庭園の改修を行い,現在の庭園となりました.国分寺崖線という武蔵野段丘の段丘崖を利用した庭園で,写真のように高所から池を見下ろす景観が特徴的です.段丘崖の縁辺なので湧水があって,これも庭園の池に利用されています.
「旧朝倉家住宅」(重文,東京都渋谷区,参照:東京近代建築散歩 #12)の庭園も崖線を利用しているけど,当時の流行なのかも.
名称:殿ヶ谷戸庭園(随冝園)(とのがやとていえん(ずいぎえん))
文化財区分:名勝
所在地:東京都国分寺市
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日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設(埼玉) 【重文】
埼玉県深谷市にある煉瓦製造の施設です.

【日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 - 旧事務所(日本煉瓦史料館)】(HDR合成,撮影:2023年2月25日)
煉瓦の工場を含む製造会社の施設群です.旧事務所(日本煉瓦史料館),ホフマン輪窯六号窯,旧変電室,備前渠鉄橋が重文.明治20 (1887)年に設立の日本煉瓦製造会社の施設で,東京駅の煉瓦もここで作られています.事務所も会社設立の頃の明治21 (1888)年頃の築.この工場と深谷駅は専用鉄道で結ばれていましたが,専用線の敷設は日本で最初のことでした.その一部として備前渠鉄橋が残されています.ホフマン輪窯六号窯は修理工事中で今は見学できません.
写真は旧事務所で,裏側の写真.基礎が煉瓦でできています.もとはちょっと違うところにあったのが,昭和20年頃に現位置に移築されています.今は日本煉瓦史料館となっています.
名称:日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設(にほんれんがせいぞうかぶしきがいしゃきゅうれんがせいぞうしせつ)
文化財区分:重要文化財(近代/産業・交通・土木)
所在地:埼玉県深谷市上敷面字中島,字西本郷

【日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 - 旧事務所(日本煉瓦史料館)】(HDR合成,撮影:2023年2月25日)
煉瓦の工場を含む製造会社の施設群です.旧事務所(日本煉瓦史料館),ホフマン輪窯六号窯,旧変電室,備前渠鉄橋が重文.明治20 (1887)年に設立の日本煉瓦製造会社の施設で,東京駅の煉瓦もここで作られています.事務所も会社設立の頃の明治21 (1888)年頃の築.この工場と深谷駅は専用鉄道で結ばれていましたが,専用線の敷設は日本で最初のことでした.その一部として備前渠鉄橋が残されています.ホフマン輪窯六号窯は修理工事中で今は見学できません.
写真は旧事務所で,裏側の写真.基礎が煉瓦でできています.もとはちょっと違うところにあったのが,昭和20年頃に現位置に移築されています.今は日本煉瓦史料館となっています.
名称:日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設(にほんれんがせいぞうかぶしきがいしゃきゅうれんがせいぞうしせつ)
文化財区分:重要文化財(近代/産業・交通・土木)
所在地:埼玉県深谷市上敷面字中島,字西本郷
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