杵築城跡(大分) 【史跡】
大分県杵築市のお城です.2020年3月の史跡指定.

【杵築城跡 - 御殿跡庭園】(HDR合成,撮影:2022年5月14日)
もともとは応永元 (1394)年に大友氏一族の木付頼直が拠点を移したのが始まり.そのあとは豊臣系大名が入ったり,細川氏の城代として松井氏が入ったり.正保2 (1645)年に松平英親が入ってからは,杵築(木付)は明治まで松平の領地となりました.
史跡指定は台山地区という丘陵地とその北麓の御殿のあったところ.台山地区には三層の天守などの城郭建築群があったのですが,一国一城令で破却されています.この破却の様子が「木付御城こわし申所付之帳」という文書に記されていて,当時の建物の数や規模等がよく伝えられています.また,台山地区の破却の頃に北麓に御殿が整備されています.御殿の建物は現存していませんが,御殿に面して造られた庭園が残っています(写真).草だらけで荒れていてよくわからないけど,池に中島を配し石橋を架けているのはわかります.
このお城の城下町がよく残っていて,「杵築市北台南台」の名称で重伝建になっています.
名称:杵築城跡(きつきじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:大分県杵築市

【杵築城跡 - 御殿跡庭園】(HDR合成,撮影:2022年5月14日)
もともとは応永元 (1394)年に大友氏一族の木付頼直が拠点を移したのが始まり.そのあとは豊臣系大名が入ったり,細川氏の城代として松井氏が入ったり.正保2 (1645)年に松平英親が入ってからは,杵築(木付)は明治まで松平の領地となりました.
史跡指定は台山地区という丘陵地とその北麓の御殿のあったところ.台山地区には三層の天守などの城郭建築群があったのですが,一国一城令で破却されています.この破却の様子が「木付御城こわし申所付之帳」という文書に記されていて,当時の建物の数や規模等がよく伝えられています.また,台山地区の破却の頃に北麓に御殿が整備されています.御殿の建物は現存していませんが,御殿に面して造られた庭園が残っています(写真).草だらけで荒れていてよくわからないけど,池に中島を配し石橋を架けているのはわかります.
このお城の城下町がよく残っていて,「杵築市北台南台」の名称で重伝建になっています.
名称:杵築城跡(きつきじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:大分県杵築市
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ジャンル : 旅行
鎌刃城跡 (滋賀) 【史跡】
米原市にある城跡です.

【鎌刃城跡】(HDR合成,撮影:2021年12月11日)
近江のこのあたりは中世から六角と京極で争っていたところでした.鎌刃城の築城の時期はよくわからないけど,古い文献では,文明4 (1472)年に六角側の堀氏が守る鎌刃城を京極側の今井氏が攻めています.境目の城なので,城主は情勢によって入れ替わっています.
山城で,主郭の北,西,南の尾根に曲輪を連ねています.写真は主郭の虎口で,階段や横壁に石が使われていて,前面も高石垣となっています.門の礎石もあるので,しっかりした門も建っていたようです.主郭の周囲は石垣で囲まれていて,戦国時代の早い時期に石垣が導入された事例として貴重です.石積みの虎口は北の曲輪でも見ることができます.
名称:鎌刃城跡(かまはじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:滋賀県米原市

【鎌刃城跡】(HDR合成,撮影:2021年12月11日)
近江のこのあたりは中世から六角と京極で争っていたところでした.鎌刃城の築城の時期はよくわからないけど,古い文献では,文明4 (1472)年に六角側の堀氏が守る鎌刃城を京極側の今井氏が攻めています.境目の城なので,城主は情勢によって入れ替わっています.
山城で,主郭の北,西,南の尾根に曲輪を連ねています.写真は主郭の虎口で,階段や横壁に石が使われていて,前面も高石垣となっています.門の礎石もあるので,しっかりした門も建っていたようです.主郭の周囲は石垣で囲まれていて,戦国時代の早い時期に石垣が導入された事例として貴重です.石積みの虎口は北の曲輪でも見ることができます.
名称:鎌刃城跡(かまはじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:滋賀県米原市
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毛利氏城跡 (広島) 【史跡】
広島県安芸高田市にあるお城.毛利氏に関連する2城があわせて史跡指定を受けています.

【毛利氏城跡 - 郡山城】(HDR合成,撮影:2019年11月12日)
毛利氏がもともと拠点としていた多治比猿掛城と,毛利元就の時に移って整備した郡山城の2城があわせて国指定史跡.
写真は郡山城の御蔵屋敷跡.この付近は石が多く散乱していて,高い石垣があったことが推察できます.
「郡山」の名前は山の南麓にあった高宮郡の郡衙に由来しています.古くからこの地方の中心地だったようです.毛利元就が家督を継いで入城したのは大永3 (1523)年だけど,15世紀後半にはすでに城があり,当時は東南方向に延びる尾根上の「本城」の部分でした.天文9 (1540)年から翌年にかけて,尼子氏と争った郡山合戦はよく知られています.
名称:毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡(もうりししろあと たじひさるがけじょうあと こおりやまじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:広島県安芸高田市吉田町

【毛利氏城跡 - 郡山城】(HDR合成,撮影:2019年11月12日)
毛利氏がもともと拠点としていた多治比猿掛城と,毛利元就の時に移って整備した郡山城の2城があわせて国指定史跡.
写真は郡山城の御蔵屋敷跡.この付近は石が多く散乱していて,高い石垣があったことが推察できます.
「郡山」の名前は山の南麓にあった高宮郡の郡衙に由来しています.古くからこの地方の中心地だったようです.毛利元就が家督を継いで入城したのは大永3 (1523)年だけど,15世紀後半にはすでに城があり,当時は東南方向に延びる尾根上の「本城」の部分でした.天文9 (1540)年から翌年にかけて,尼子氏と争った郡山合戦はよく知られています.
名称:毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡(もうりししろあと たじひさるがけじょうあと こおりやまじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:広島県安芸高田市吉田町
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小早川氏城跡 (広島) 【史跡】
広島県三原市のお城.小早川氏に関係する高山城跡,新高山城跡,三原城跡の3城があわせて史跡指定を受けています.

【小早川氏城跡 - 新高山城跡】(HDR合成,撮影:2019年11月12日)
小早川氏は相模の土肥氏の分家で,承久の乱の戦功で安芸国沼田荘の地頭職となり,安芸国に移住しました.そこで築城したのが高山城.後に小早川隆景(毛利元就の三男)の時に新高山城に移り,さらに三原城へ.高山城と新高山城は廃城となったけど,三原城は藩政期は広島城の支城として機能していました.
写真は新高山城の「釣井の段」で「井戸郭」ともよばれるところ.上下二段となる郭で,井戸が5つあります.
名称:小早川氏城跡 高山城跡 新高山城跡 三原城跡(こばやかわししろあと たかやまじょうあと にいたかやまじょうあと みはらじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:広島県三原市高坂町・館町・本町・城町・本郷町

【小早川氏城跡 - 新高山城跡】(HDR合成,撮影:2019年11月12日)
小早川氏は相模の土肥氏の分家で,承久の乱の戦功で安芸国沼田荘の地頭職となり,安芸国に移住しました.そこで築城したのが高山城.後に小早川隆景(毛利元就の三男)の時に新高山城に移り,さらに三原城へ.高山城と新高山城は廃城となったけど,三原城は藩政期は広島城の支城として機能していました.
写真は新高山城の「釣井の段」で「井戸郭」ともよばれるところ.上下二段となる郭で,井戸が5つあります.
名称:小早川氏城跡 高山城跡 新高山城跡 三原城跡(こばやかわししろあと たかやまじょうあと にいたかやまじょうあと みはらじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:広島県三原市高坂町・館町・本町・城町・本郷町
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具志川城跡 (沖縄) 【史跡】
沖縄県糸満市にある城跡.沖縄本島最南の史跡です.

【具志川城跡】(HDR合成,撮影:2019年5月15日)
12世紀後半から15世紀中頃にかけて使われていたようです.久米島に同名の史跡があって(参照:具志川城跡),そこにいた真金声按司が戦に負けて逃れて築いたというのだけど,そうだとすると時代があわない.
北側に入口があって,他の三方を海食崖に囲まれた構造になっています.崖上に石垣があって,外側からも見栄えがいいように造られているので,外側から積んだのだとか.
付近の「喜屋武海岸及び荒崎海岸」は国指定名勝及び天然記念物.
名称:具志川城跡(ぐしかわじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:沖縄県糸満市喜屋武

【具志川城跡】(HDR合成,撮影:2019年5月15日)
12世紀後半から15世紀中頃にかけて使われていたようです.久米島に同名の史跡があって(参照:具志川城跡),そこにいた真金声按司が戦に負けて逃れて築いたというのだけど,そうだとすると時代があわない.
北側に入口があって,他の三方を海食崖に囲まれた構造になっています.崖上に石垣があって,外側からも見栄えがいいように造られているので,外側から積んだのだとか.
付近の「喜屋武海岸及び荒崎海岸」は国指定名勝及び天然記念物.
名称:具志川城跡(ぐしかわじょうあと)
文化財区分:史跡
所在地:沖縄県糸満市喜屋武
テーマ : 歴史・文化にふれる旅
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