菅田庵(島根) 【重文・史跡・名勝】
松江市にある茶室.建物は重文で,敷地は史跡および名勝です.

【菅田庵及び向月亭 - 菅田庵】(HDR合成,撮影:2022年11月14日)
菅田庵と向月亭に2棟の茶室と附で御風呂屋が重文.写真は菅田庵です.寛政4 (1792)年(寛政2 [1790]年の説もある)に松江藩の松平不昧によって建てられた茶室です.向月亭と不昧公の弟の雪川の好みによるもの.菅田庵の少し高いところに御風呂屋があって,待合なんだけど浴室をそなえているという珍しいもの.今の見学順は逆だけど,御風呂屋から石段を下りて菅田庵に至るというのが本来の順路です.

【菅田庵】(HDR合成,撮影:2022年11月14日)
茶室まわりの庭園なので,「露地庭園」に分類されるものだけど,文化財としてはこの一帯が広く指定されています.写真は菅田庵のまわり.写真上に微妙に写っている建仁寺垣の間の中門を抜けると眺望が開けるという仕掛けになっています.
名称:菅田庵及び向月亭(かんでんあんおよびこうげつてい)
文化財区分:重要文化財(近世以前/住宅)
所在地:島根県松江市菅田町
名称:菅田庵(かんでんあん)
文化財区分:史跡・名勝
所在地:島根県松江市菅田町

【菅田庵及び向月亭 - 菅田庵】(HDR合成,撮影:2022年11月14日)
菅田庵と向月亭に2棟の茶室と附で御風呂屋が重文.写真は菅田庵です.寛政4 (1792)年(寛政2 [1790]年の説もある)に松江藩の松平不昧によって建てられた茶室です.向月亭と不昧公の弟の雪川の好みによるもの.菅田庵の少し高いところに御風呂屋があって,待合なんだけど浴室をそなえているという珍しいもの.今の見学順は逆だけど,御風呂屋から石段を下りて菅田庵に至るというのが本来の順路です.

【菅田庵】(HDR合成,撮影:2022年11月14日)
茶室まわりの庭園なので,「露地庭園」に分類されるものだけど,文化財としてはこの一帯が広く指定されています.写真は菅田庵のまわり.写真上に微妙に写っている建仁寺垣の間の中門を抜けると眺望が開けるという仕掛けになっています.
名称:菅田庵及び向月亭(かんでんあんおよびこうげつてい)
文化財区分:重要文化財(近世以前/住宅)
所在地:島根県松江市菅田町
名称:菅田庵(かんでんあん)
文化財区分:史跡・名勝
所在地:島根県松江市菅田町
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行
旧浜離宮庭園(東京) 【特別史跡・特別名勝】
江戸の大名庭園の遺構.特別史跡と特別名勝の両方の指定を受けています.

【旧浜離宮庭園】(HDR合成,撮影:2022年9月25日)
もともとは将軍家の鷹狩の場所だったけど,甲府藩藩主の松平綱重の別邸となり,その後,徳川家宣が浜御殿として改修し将軍家の別邸として使われていました.明治になると宮内省管理の離宮になり,その後都に下賜されて現在は都立庭園です.苑池は昔のままで,海水を引き入れて潮の干満で景観が変化する潮入の池の庭園として代表的なものです.鴨場や馬場など,当時の有力者の生活の痕跡があるのも特徴的です.
建物は戦災等で全て失われているけど,近年茶屋の復元などの整備が進められています.写真は燕の御茶屋(手前)と鷹の御茶屋(奥).
名称:旧浜離宮庭園(きゅうはまりきゅうていえん)
文化財区分:特別名勝・特別史跡
所在地:東京都中央区浜離宮庭園

【旧浜離宮庭園】(HDR合成,撮影:2022年9月25日)
もともとは将軍家の鷹狩の場所だったけど,甲府藩藩主の松平綱重の別邸となり,その後,徳川家宣が浜御殿として改修し将軍家の別邸として使われていました.明治になると宮内省管理の離宮になり,その後都に下賜されて現在は都立庭園です.苑池は昔のままで,海水を引き入れて潮の干満で景観が変化する潮入の池の庭園として代表的なものです.鴨場や馬場など,当時の有力者の生活の痕跡があるのも特徴的です.
建物は戦災等で全て失われているけど,近年茶屋の復元などの整備が進められています.写真は燕の御茶屋(手前)と鷹の御茶屋(奥).
名称:旧浜離宮庭園(きゅうはまりきゅうていえん)
文化財区分:特別名勝・特別史跡
所在地:東京都中央区浜離宮庭園
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向島百花園(東京) 【史跡・名勝】
江戸時代の花園の遺構です.国史跡と国名勝の両方の指定を受けています.

【向島百花園】(HDR合成,撮影:2022年9月10日)
佐原菊塢という人が江戸の文人の協力のもとに文化2 (1805)年に開園した花園.もとは梅が主体だったけど,万葉集などの古典に詠まれた植物を集め,いろんな草木が見られるようになりました.写真は桑の茶屋跡から池を眺めたところ.
名称:向島百花園(むこうじまひゃっかえん)
文化財区分:名勝・史跡
所在地:東京都墨田区東向島三丁目

【向島百花園】(HDR合成,撮影:2022年9月10日)
佐原菊塢という人が江戸の文人の協力のもとに文化2 (1805)年に開園した花園.もとは梅が主体だったけど,万葉集などの古典に詠まれた植物を集め,いろんな草木が見られるようになりました.写真は桑の茶屋跡から池を眺めたところ.
名称:向島百花園(むこうじまひゃっかえん)
文化財区分:名勝・史跡
所在地:東京都墨田区東向島三丁目
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三浦梅園旧宅(大分) 【史跡】
大分県国東市にある史跡.江戸時代の思想家の三浦梅園の旧宅です.

【三浦梅園旧宅】(HDR合成,撮影:2022年5月17日)
三浦梅園(享保8 [1723]年~寛政元 [1789]年)は医家の生まれだけど,独創的な条理の説を説いた思想家として知られています.梅園三語といわれる「玄語」,「贅語」,「敢語」が主な著作.あまり国東からでることもなく学説が広まることもなかったのだけど,塾を開いて門生を指導していました.史跡指定地には梅園が晩年に設計して建てた旧宅と土蔵や,塾跡の石垣や墓所があります.梅園の著述稿本類は隣接する資料館に所蔵されていて,「三浦梅園遺稿」として重要文化財に指定されています.
名称:三浦梅園旧宅(みうらばいえんきゅうたく)
文化財区分:史跡
所在地:大分県国東市

【三浦梅園旧宅】(HDR合成,撮影:2022年5月17日)
三浦梅園(享保8 [1723]年~寛政元 [1789]年)は医家の生まれだけど,独創的な条理の説を説いた思想家として知られています.梅園三語といわれる「玄語」,「贅語」,「敢語」が主な著作.あまり国東からでることもなく学説が広まることもなかったのだけど,塾を開いて門生を指導していました.史跡指定地には梅園が晩年に設計して建てた旧宅と土蔵や,塾跡の石垣や墓所があります.梅園の著述稿本類は隣接する資料館に所蔵されていて,「三浦梅園遺稿」として重要文化財に指定されています.
名称:三浦梅園旧宅(みうらばいえんきゅうたく)
文化財区分:史跡
所在地:大分県国東市
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旧久留島氏庭園(大分) 【名勝】
大分県玖珠町にある森藩の陣屋跡の庭園群です.

【旧久留島氏庭園 - 御殿庭園】(HDR合成,撮影:2022年5月16日)
森藩は豊後国の日田郡・玖珠郡・速見郡を領した藩でした.城はなく陣屋を藩庁としていたのだけど,この陣屋跡に残る3つの庭園(御殿庭園,栖鳳楼庭園,清水御門前庭園)が国指定名勝です.写真は御殿庭園.末広山の斜面とその裾部を利用した庭園で,巨石を使った蓬莱式池泉庭園です.この斜面の上に栖鳳楼という茶屋があってその周りにも庭園があります.九重連山を借景にしています.もう一つは清水御門前の石段下の庭園.
陣屋の御殿などは残っていないけど,藩の守護のため建てられた神社があり.文政期建立の「末廣神社本殿(神殿)及び覆屋」は県指定の文化財.前述の栖鳳楼も末廣神社の所有で,「末廣神社栖鳳楼」として県指定の文化財で,天保3 (1832)年頃の築.この文政から天保頃の社殿造営にあわせて庭園も造られたようです.
栖鳳楼庭園と清水御門前庭園の写真はこちら → 「追加掲載 - 旧久留島氏庭園」
名称:旧久留島氏庭園(きゅうくるしましていえん)
文化財区分:名勝
所在地:大分県玖珠郡玖珠町

【旧久留島氏庭園 - 御殿庭園】(HDR合成,撮影:2022年5月16日)
森藩は豊後国の日田郡・玖珠郡・速見郡を領した藩でした.城はなく陣屋を藩庁としていたのだけど,この陣屋跡に残る3つの庭園(御殿庭園,栖鳳楼庭園,清水御門前庭園)が国指定名勝です.写真は御殿庭園.末広山の斜面とその裾部を利用した庭園で,巨石を使った蓬莱式池泉庭園です.この斜面の上に栖鳳楼という茶屋があってその周りにも庭園があります.九重連山を借景にしています.もう一つは清水御門前の石段下の庭園.
陣屋の御殿などは残っていないけど,藩の守護のため建てられた神社があり.文政期建立の「末廣神社本殿(神殿)及び覆屋」は県指定の文化財.前述の栖鳳楼も末廣神社の所有で,「末廣神社栖鳳楼」として県指定の文化財で,天保3 (1832)年頃の築.この文政から天保頃の社殿造営にあわせて庭園も造られたようです.
栖鳳楼庭園と清水御門前庭園の写真はこちら → 「追加掲載 - 旧久留島氏庭園」
名称:旧久留島氏庭園(きゅうくるしましていえん)
文化財区分:名勝
所在地:大分県玖珠郡玖珠町
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