向島百花園(東京) 【史跡・名勝】
江戸時代の花園の遺構です.国史跡と国名勝の両方の指定を受けています.

【向島百花園】(HDR合成,撮影:2022年9月10日)
佐原菊塢という人が江戸の文人の協力のもとに文化2 (1805)年に開園した花園.もとは梅が主体だったけど,万葉集などの古典に詠まれた植物を集め,いろんな草木が見られるようになりました.写真は桑の茶屋跡から池を眺めたところ.
名称:向島百花園(むこうじまひゃっかえん)
文化財区分:名勝・史跡
所在地:東京都墨田区東向島三丁目

【向島百花園】(HDR合成,撮影:2022年9月10日)
佐原菊塢という人が江戸の文人の協力のもとに文化2 (1805)年に開園した花園.もとは梅が主体だったけど,万葉集などの古典に詠まれた植物を集め,いろんな草木が見られるようになりました.写真は桑の茶屋跡から池を眺めたところ.
名称:向島百花園(むこうじまひゃっかえん)
文化財区分:名勝・史跡
所在地:東京都墨田区東向島三丁目
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ジャンル : 旅行
三浦梅園旧宅(大分) 【史跡】
大分県国東市にある史跡.江戸時代の思想家の三浦梅園の旧宅です.

【三浦梅園旧宅】(HDR合成,撮影:2022年5月17日)
三浦梅園(享保8 [1723]年~寛政元 [1789]年)は医家の生まれだけど,独創的な条理の説を説いた思想家として知られています.梅園三語といわれる「玄語」,「贅語」,「敢語」が主な著作.あまり国東からでることもなく学説が広まることもなかったのだけど,塾を開いて門生を指導していました.史跡指定地には梅園が晩年に設計して建てた旧宅と土蔵や,塾跡の石垣や墓所があります.梅園の著述稿本類は隣接する資料館に所蔵されていて,「三浦梅園遺稿」として重要文化財に指定されています.
名称:三浦梅園旧宅(みうらばいえんきゅうたく)
文化財区分:史跡
所在地:大分県国東市

【三浦梅園旧宅】(HDR合成,撮影:2022年5月17日)
三浦梅園(享保8 [1723]年~寛政元 [1789]年)は医家の生まれだけど,独創的な条理の説を説いた思想家として知られています.梅園三語といわれる「玄語」,「贅語」,「敢語」が主な著作.あまり国東からでることもなく学説が広まることもなかったのだけど,塾を開いて門生を指導していました.史跡指定地には梅園が晩年に設計して建てた旧宅と土蔵や,塾跡の石垣や墓所があります.梅園の著述稿本類は隣接する資料館に所蔵されていて,「三浦梅園遺稿」として重要文化財に指定されています.
名称:三浦梅園旧宅(みうらばいえんきゅうたく)
文化財区分:史跡
所在地:大分県国東市
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旧久留島氏庭園(大分) 【名勝】
大分県玖珠町にある森藩の陣屋跡の庭園群です.

【旧久留島氏庭園 - 御殿庭園】(HDR合成,撮影:2022年5月16日)
森藩は豊後国の日田郡・玖珠郡・速見郡を領した藩でした.城はなく陣屋を藩庁としていたのだけど,この陣屋跡に残る3つの庭園(御殿庭園,栖鳳楼庭園,清水御門前庭園)が国指定名勝です.写真は御殿庭園.末広山の斜面とその裾部を利用した庭園で,巨石を使った蓬莱式池泉庭園です.この斜面の上に栖鳳楼という茶屋があってその周りにも庭園があります.九重連山を借景にしています.もう一つは清水御門前の石段下の庭園.
陣屋の御殿などは残っていないけど,藩の守護のため建てられた神社があり.文政期建立の「末廣神社本殿(神殿)及び覆屋」は県指定の文化財.前述の栖鳳楼も末廣神社の所有で,「末廣神社栖鳳楼」として県指定の文化財で,天保3 (1832)年頃の築.この文政から天保頃の社殿造営にあわせて庭園も造られたようです.
栖鳳楼庭園と清水御門前庭園の写真はこちら → 「追加掲載 - 旧久留島氏庭園」
名称:旧久留島氏庭園(きゅうくるしましていえん)
文化財区分:名勝
所在地:大分県玖珠郡玖珠町

【旧久留島氏庭園 - 御殿庭園】(HDR合成,撮影:2022年5月16日)
森藩は豊後国の日田郡・玖珠郡・速見郡を領した藩でした.城はなく陣屋を藩庁としていたのだけど,この陣屋跡に残る3つの庭園(御殿庭園,栖鳳楼庭園,清水御門前庭園)が国指定名勝です.写真は御殿庭園.末広山の斜面とその裾部を利用した庭園で,巨石を使った蓬莱式池泉庭園です.この斜面の上に栖鳳楼という茶屋があってその周りにも庭園があります.九重連山を借景にしています.もう一つは清水御門前の石段下の庭園.
陣屋の御殿などは残っていないけど,藩の守護のため建てられた神社があり.文政期建立の「末廣神社本殿(神殿)及び覆屋」は県指定の文化財.前述の栖鳳楼も末廣神社の所有で,「末廣神社栖鳳楼」として県指定の文化財で,天保3 (1832)年頃の築.この文政から天保頃の社殿造営にあわせて庭園も造られたようです.
栖鳳楼庭園と清水御門前庭園の写真はこちら → 「追加掲載 - 旧久留島氏庭園」
名称:旧久留島氏庭園(きゅうくるしましていえん)
文化財区分:名勝
所在地:大分県玖珠郡玖珠町
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虹澗橋(大分) 【重文】
大分県の三重川にかかる石橋です.

【虹澗橋】(HDR合成,撮影:2022年5月15日)
臼杵市と豊後大野市の市境になっているところにあります.石碑1基が附で重文です.文政7 (1824)年架橋の石造単アーチ橋.小規模な橋はこれまでも造られていたけど,アーチ径間25mの規模の大きなものとしては最古です.
名称:虹澗橋(こうかんきょう)
文化財区分:重要文化財(近世以前/その他)
所在地:大分県臼杵市野津町大字西畑・豊後大野市三重町菅生

【虹澗橋】(HDR合成,撮影:2022年5月15日)
臼杵市と豊後大野市の市境になっているところにあります.石碑1基が附で重文です.文政7 (1824)年架橋の石造単アーチ橋.小規模な橋はこれまでも造られていたけど,アーチ径間25mの規模の大きなものとしては最古です.
名称:虹澗橋(こうかんきょう)
文化財区分:重要文化財(近世以前/その他)
所在地:大分県臼杵市野津町大字西畑・豊後大野市三重町菅生
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岡藩主中川家墓所(大分) 【史跡】
岡藩の藩主中川家の墓所です.3ヵ所がまとめて史跡指定を受けています.

【岡藩主中川家墓所 - 碧雲寺墓所】(HDR合成,撮影:2022年5月15日)
文禄3 (1594)年に岡城に中川氏が入り,それ以降ずっと中川氏が岡藩を治めていました.藩主の墓はおおむね碧雲寺にあって,他に三代墓所が大船山,八代墓所が小富士山にあります.写真は碧雲寺墓所.
碧雲寺は,初代の秀成が御茶屋を造ろうとしたけど,完成前に没したために菩提寺となったところです.墓所は仏式の墓だけど,龍吟池という池があって,庭園をともなう点が珍しいです.二代久盛の霊屋は隣接する高流寺の金神堂として移築現存していて,市指定の文化財.大船山,小富士山の墓所には行けなかったけど,自然の中にある儒式の墓だそうです.
名称:岡藩主中川家墓所(おかはんしゅなかがわけぼしょ)
文化財区分:史跡
所在地:大分県竹田市大字会々・大字入田・久住町,豊後大野市寺原

【岡藩主中川家墓所 - 碧雲寺墓所】(HDR合成,撮影:2022年5月15日)
文禄3 (1594)年に岡城に中川氏が入り,それ以降ずっと中川氏が岡藩を治めていました.藩主の墓はおおむね碧雲寺にあって,他に三代墓所が大船山,八代墓所が小富士山にあります.写真は碧雲寺墓所.
碧雲寺は,初代の秀成が御茶屋を造ろうとしたけど,完成前に没したために菩提寺となったところです.墓所は仏式の墓だけど,龍吟池という池があって,庭園をともなう点が珍しいです.二代久盛の霊屋は隣接する高流寺の金神堂として移築現存していて,市指定の文化財.大船山,小富士山の墓所には行けなかったけど,自然の中にある儒式の墓だそうです.
名称:岡藩主中川家墓所(おかはんしゅなかがわけぼしょ)
文化財区分:史跡
所在地:大分県竹田市大字会々・大字入田・久住町,豊後大野市寺原
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