旧松坂御城番長屋(三重) 【重文】
松阪の武家長屋です.東棟と西棟の2棟があわせて重文指定をうけています.

【旧松坂御城番長屋】(HDR)
松坂の城下町は蒲生氏郷の松坂城築城時(天正3 [1588]年)に整備されたのが始まりですが,蒲生氏郷が会津に移封になって城主が何度かかわった後,元和5 (1619)年に紀州藩領になります.松坂御城番は文久3 (1863)年に始まった松坂城の警護職です.長屋もこのときにつくられました.現存する武家長屋としてはほかに,「旧新発田藩足軽長屋」(重文,新潟県新発田市),「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」(重文,山口県萩市),「旧山内家下屋敷長屋」(重文,高知県高知市)がありますが,2棟ならんでいるのはここだけです.上記3つの中では「旧新発田藩足軽長屋」に比較的似ていますが,ここのほうが広く住みやすそうです.実際まだ住居として使われてるし.西棟の北端部が公開されています.
間の石畳も好みです.石畳ってこういう歴史的なところだけでなく普通の住宅街とかにもとりいれていっていいと思うのですよね.今はどこもアスファルトになってしまい文化的でない.アスファルトの長所といえば車が走りやすいところだろうけど,住宅街においては危なかしくってデメリットにもなってしまうわけで.スピードを出す必要のない住宅街なんかはむしろ石畳のほうがむいているように思います.あと,ここは石畳であることで観光客にとって車で入りにくい空間になってます.伝建とかでも駐車場を探して伝建内に迷いこんじゃったりもするんですよね.町づくりの参考になる事例だなぁと思いました.
とはいえ,まわりの景観がいまいちで,撮りにくい!「松坂城跡」(史跡)から撮影.
名称:旧松坂御城番長屋(まつさかごじょうばんながや)
文化財区分:重要文化財(近世以前/住宅)
所在地:三重県松阪市殿町
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【旧松坂御城番長屋】(HDR)
松坂の城下町は蒲生氏郷の松坂城築城時(天正3 [1588]年)に整備されたのが始まりですが,蒲生氏郷が会津に移封になって城主が何度かかわった後,元和5 (1619)年に紀州藩領になります.松坂御城番は文久3 (1863)年に始まった松坂城の警護職です.長屋もこのときにつくられました.現存する武家長屋としてはほかに,「旧新発田藩足軽長屋」(重文,新潟県新発田市),「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」(重文,山口県萩市),「旧山内家下屋敷長屋」(重文,高知県高知市)がありますが,2棟ならんでいるのはここだけです.上記3つの中では「旧新発田藩足軽長屋」に比較的似ていますが,ここのほうが広く住みやすそうです.実際まだ住居として使われてるし.西棟の北端部が公開されています.
間の石畳も好みです.石畳ってこういう歴史的なところだけでなく普通の住宅街とかにもとりいれていっていいと思うのですよね.今はどこもアスファルトになってしまい文化的でない.アスファルトの長所といえば車が走りやすいところだろうけど,住宅街においては危なかしくってデメリットにもなってしまうわけで.スピードを出す必要のない住宅街なんかはむしろ石畳のほうがむいているように思います.あと,ここは石畳であることで観光客にとって車で入りにくい空間になってます.伝建とかでも駐車場を探して伝建内に迷いこんじゃったりもするんですよね.町づくりの参考になる事例だなぁと思いました.
とはいえ,まわりの景観がいまいちで,撮りにくい!「松坂城跡」(史跡)から撮影.
名称:旧松坂御城番長屋(まつさかごじょうばんながや)
文化財区分:重要文化財(近世以前/住宅)
所在地:三重県松阪市殿町
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行