法隆寺 #7 (奈良) 【重文】
「法隆寺 #6」の続き.

【法隆寺妻室】(HDR合成,撮影:2022年10月3日)
保安2 (1121)年頃の建立.梁間は二間だけど,桁行二十七間の長い建物です.国宝の「法隆寺東室」(参照:法隆寺 #4)と並び建っていて,もとは東室小子房.東室大房(今の東室)と対面する部屋で一対になって,大房には上位の僧,小子房にはその従者が住むという僧房でした.

【法隆寺食堂及び細殿 - 細殿】(HDR合成,撮影:2022年10月3日)
文永5 (1268)年頃の建立.国宝の「法隆寺食堂」(参照:法隆寺 #4)の前面に建っています.もとは食堂とあわせて1件の重文だったのだけど,1952年に食堂だけが国宝になったということで,重要文化財「法隆寺食堂及び細殿」を構成する2棟のうち細殿は重文,食堂は国宝という特殊なことになっています.
平面の広い建物を建てるときに1棟で建てると無駄に高さのある建物になってしまうので,細長い建物を並べて建てることがありました.そういう双堂の形式を伝えているのが食堂と細殿.食堂は天平期から現存するもので,もとは政屋だったのが平安初期に食堂として転用されたもので,前に建つ細殿とあわせた双堂でした.現在の細殿は文永の再建.

【宗源寺四脚門(勧学院表門)】(HDR合成,撮影:2022年10月3日)
国宝の「法隆寺東大門」(参照:法隆寺 #4)から出て東院に向かう途中にある四脚門形式の門.嘉禎3 (1237)年の建立です.
この付近は子院が並んでいて他にも重文建築があるのだけど,塀の中の非公開エリアなのでよく見えません.
「法隆寺 #8」に続く!
名称:法隆寺妻室(ほうりゅうじつまむろ)
文化財区分:重要文化財(近世以前/寺院)
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
名称:法隆寺食堂及び細殿(ほうりゅうじじきどうおよびほそどの)
文化財区分:重要文化財(近世以前/寺院)
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
名称:宗源寺四脚門(勧学院表門)(そうげんじしきゃくもん(かんがくいんおもてもん))
文化財区分:重要文化財(近世以前/寺院)
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

【法隆寺妻室】(HDR合成,撮影:2022年10月3日)
保安2 (1121)年頃の建立.梁間は二間だけど,桁行二十七間の長い建物です.国宝の「法隆寺東室」(参照:法隆寺 #4)と並び建っていて,もとは東室小子房.東室大房(今の東室)と対面する部屋で一対になって,大房には上位の僧,小子房にはその従者が住むという僧房でした.

【法隆寺食堂及び細殿 - 細殿】(HDR合成,撮影:2022年10月3日)
文永5 (1268)年頃の建立.国宝の「法隆寺食堂」(参照:法隆寺 #4)の前面に建っています.もとは食堂とあわせて1件の重文だったのだけど,1952年に食堂だけが国宝になったということで,重要文化財「法隆寺食堂及び細殿」を構成する2棟のうち細殿は重文,食堂は国宝という特殊なことになっています.
平面の広い建物を建てるときに1棟で建てると無駄に高さのある建物になってしまうので,細長い建物を並べて建てることがありました.そういう双堂の形式を伝えているのが食堂と細殿.食堂は天平期から現存するもので,もとは政屋だったのが平安初期に食堂として転用されたもので,前に建つ細殿とあわせた双堂でした.現在の細殿は文永の再建.

【宗源寺四脚門(勧学院表門)】(HDR合成,撮影:2022年10月3日)
国宝の「法隆寺東大門」(参照:法隆寺 #4)から出て東院に向かう途中にある四脚門形式の門.嘉禎3 (1237)年の建立です.
この付近は子院が並んでいて他にも重文建築があるのだけど,塀の中の非公開エリアなのでよく見えません.
「法隆寺 #8」に続く!
名称:法隆寺妻室(ほうりゅうじつまむろ)
文化財区分:重要文化財(近世以前/寺院)
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
名称:法隆寺食堂及び細殿(ほうりゅうじじきどうおよびほそどの)
文化財区分:重要文化財(近世以前/寺院)
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
名称:宗源寺四脚門(勧学院表門)(そうげんじしきゃくもん(かんがくいんおもてもん))
文化財区分:重要文化財(近世以前/寺院)
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
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